放浪記

前回更新から暫くの時間が経ってしまいましたが、マイペースに書きたい時に書いて行きますので宜しくお願いします。しかしながら大会戦記を書くモチベーションが湧かないので旅の話でも。

スイスのゾロトゥルンからフランスのリヨンへそしてそこからボルドーそしてイギリスのロンドンへ。ロンドンの話も書きたい所だけれども、それはまた気が向いた時に。


ほんの数年前までは日本人旅行者にも人気の国だったトルコ。しかし昨今では頻繁に起こるテロ、自国の政治的な問題、隣国のシリア等の問題やクルド人問題により遠くから見聞きするトルコは治安の悪化や国としての安定を失っている様に見える。ましてや僕がトルコに居た期間はイスラム教の断食月のラマザンのまっただ中。そして極めつけはイスタンブールへ飛ぶ前日にイスタンブール市内で爆破テロが起こった。

トルコにもフラットランドシーンが有る事は知っていた。しかしそこには言葉の壁もあり情報が入って来ない。フラットランド的に見たトルコは未知の部分が多く僕にとって魅力的な国だった。

イスタンブールに着いてまずは観光をかねてライディングスポット探し。しかしながら流石にラマザン中にチャリにガンガン乗るって言うのは気が引ける。異教徒の僕がわざわざラマザン中のイスラムの国に来て楽しそうにチャリ乗っていたら断食中の彼等の気分を害するのでは無いかと思い数日はライディングを自粛していた。前出の国の状況、そしてラマザン中と言う事も有ってか観光客はあまり居なかったのだが、やはりイスタンブールは観光都市。押し売りに近い物売り、呼び込み、詐欺師やスリなど金に目が眩んだハイエナな様な人間が沢山居る。チャリに乗ってない僕はただの外国人。小汚い格好はしているが観光客激減で飢えたハイエナからしたら格好の餌だ。そんな彼等の攻撃を軽くあしらいながら数日が経った頃SNSで僕がトルコに滞在している事を知ったトルコのBMXアソシエーションから突然の連絡が。彼等のアレンジのおかげで半分諦めていたイスタンブールとアダナのライダーと繋がる事が出来た。翌日僕は彼等に連絡を取りフラットライダーのアザットに会いに行くことにした。

アザットは色々なライディングスポットへ僕を連れて行ってくれた。その中の一つのライディングスポットはストリートチルドレンのたまり場となっている場所だった。普通なら格好の餌となるはずだが自転車に跨がるともうただのハイエナの餌では無い。僕が技をやると彼等は驚き、餌としてではない興味を示してくれる。素直な瞳で素直な反応で心を開いてくれる。彼らとコミュニケーションを取りながら彼らに向けてショーライディングを披露した。彼等は10歳に満たない位の子から15歳位の男の子達。印象的だったのが、その中の一番小さい子が僕のショーのお返しに自慢のバタフライナイフでトリックを見せてくれた事。ハイスキルだった事よりもあんな小さい子がナイフを携帯している事にショックを受けた。
彼らの境遇やバックグラウンドは知らないが知り合いかたが違ければそのナイフは僕に向いたかもしれない。別れの時僕らはハグをした。一瞬刺されるんじゃないかと言う思いが頭をよぎった。離れ際、彼が胸に手を当てて頭を下げ、敬意を表すポーズを僕に見せた後美しい笑顔を見せてくれた。僕も同じポーズを取った。手を当てた僕の胸の中はストリートで力強く生きる彼等への尊敬と彼を疑ってしまった心の痛みを感じていた。
イスタンブールのフラットライダーのアザットのおかげで沢山の人と繋がることができ、この地にも沢山の友人が出来た。

次の目的地はトルコで最大のフラットランドシーンが有ると言う都市アダナへ。
今回は出発前にアダナのライダーでトルコのナンバーワンライダーと言われているムーラットと連絡を取り合って居たので、アダナの空港に着くとムーラットそして彼の妻とサメットと言うライダーが僕の到着を待って居てくれた。

ムーラットはトルコ国内で唯一のプロとして活動しているライダーで彼とサメットで僕がアダナに滞在していた2週間、毎日の食事から何から何まで全てを世話してくれた。
トルコには以前レッドブルのショーでビッキーがイスタンブールを訪れたことが有ったそうで、その時に一緒にショーをしたムーラットがビッキーをアダナへと招待した事が有った。しかしビッキーはシリアとの国境とも近くアダナは危険だと判断しアダナへは来なかったそうだ。と言うわけで僕がアダナへ来た初めてのインターナショナルなライダーだと言われた。これは嬉しい。日本人ライダーで初めてとか初めての外国人ライダーとかそう言った称号は結構頂いているが、やっぱり冒険家ライダーとしては嬉しいものだ。
そしてシリアとの国境近くの街であるガジアンテップからユヌスとセルダーと言う2人のベテランライダーも僕に会うためにアダナへと来てくれた。

彼等のホスピタリティーは素晴らしく濃い時間を過ごす事が出来た。
ある日僕はひょんな事からアダナのストリートライダーの父親の法事に出席する事になった。法事の際は故人の親族から近所の人や友人知人に夕食が振舞われる。僕らがホールの中で食事をしているとストリートチルドレンと思しき子供達が食事の残りを恵んでもらおうと窓から顔を覗かせた。彼等はアジア人である僕に興味を持ち手を振ったり何かを言って笑って居た。
法事が終わり外へ出ると僕の所へ子供達が寄って来た。暫く彼等とコミニュケーションを取った後僕らはその場を離れ目の前のカフェでコーヒーを飲んでいた。子供達はまだホールの前で食事をせがんで居た。ホールから出て来た一人の男が、子供達を怒鳴りつけ追い払おうとするも子供達は動く気配が無い。数回彼が出て来ては怒鳴りを繰り返しそれでも動かない子供達。終いには子供達を蹴り上げその場から追い出した。この光景にはカルチャーショックの様な物を覚えた。そしてその後もこの様な場面に何度も出くわした。ムーラットやサメットがこの国におけるストリートチルドレンやクルド人、シリア難民の現状を僕に説明してくれた。ストリートチルドレンはまるで野犬の様に扱われて居た。初めて僕が野犬の多い南米に行った時に見た光景に似て居た。野犬も弱い人間を狙って攻撃を仕掛けてくる事が多々ある。彼等は弱みやビビりを感じ取る事が出来、弱みを見せたり逃げようとすると襲いかかって来る。犬が向かって来た時は慈悲心を見せたり引いてはダメだ戦わなくてはならない。
僕もこの地で暫くの時間を過ごしたら子供を蹴り上げる彼等の様に、南米で野犬と戦っていた様に子供達にアグレッシブな対応をする様になるのかと自分自身を想像し、悲しい気持ちになった。
 

そしてシリアとの国境付近の街ガジアンテップへ。
ガジアンテップは外務省から渡航禁止令も出ている危険地域とされている場所だ。実はこの街にも沢山のフラットライダーが居た。その中でも印象深かったのがセルダーと言うベテランライダーだ。彼は知能障害を抱えて居る。しかし彼は本当に陽気でひょうきん者で僕は彼の事が大好きになった。もともとファイスブックで彼とは繋がっていたが事情を知らずオンライン上だけで見る彼は変わり者と僕には映って居た。BMXは彼の人生の全てだ。上手く感情をコントロールする事の出来ない彼はBMX、フラットランドに対する愛が爆発してしまう事が多々ありそれがオンライン上で僕には変わり者として映って居たのだ。
彼は驚くべき伝説を持ったライダーだ。2015年彼はフラットアーク観戦の為に日本に来日した。セルダーは日本語はもちろん英語も全く話せない、知能障害を持った彼が航空券と幾らかの金、パスポート、BMXだけを持ち、一人で日本までやって来たので有る。英語も日本語も話さず大会の会場も分からなければホテルだって取って居なかった。空港の税関で捕まったりもしたが日本の空港から“フラットランド”“BMX”だけを言い続け、色々な人の助けを借り紆余曲折を経てフラットアークの会場までたどり着いたのだ。

この地でも僕はライダーや親切な人々のおかげで色々な事を学び忘れられない時を過ごす事が出来た。
素晴らしい思い出と共に僕はウクライナのリビブへと飛んだ。

 

リビブ到着の翌日嫌なニュースが飛び込んで来た。またしてもイスタンブールでテロが起きたのだ。そしてその数日後今度は軍部によるクーデターのニュース。僕は最初から最後まで世話をしてくれたアダナのライダー、サメットの顔が頭に浮かんだ。サメットは兵役を終えたばかりだったが、現在のトルコの状況を悲観し、一刻でも早く平穏を取り戻させたいとの願いで軍隊に戻る事を決意したと僕に話してくれて居たのだ。今頃彼はこの悲惨な状況の中で軍隊の中に居る。彼の夢はBMXを持って日本へ来る事だと言って居た。どうか国が平穏を取り戻し、いつの日か彼が日本に来日する時が来たら僕を助けてくれたお礼をさせて欲しい。トルコは素晴らしい国でした。

ヨーロッパコンテスト戦記パート3

今回はワールドサーキットの第一戦及びヨーロッパサーキットにも組み込まれているスイスのソロトゥルンで開催されたバイクデイズ。昨今はサーキット戦ブームで世界各地でサーキット戦が行われている。僕の知る限りでもワールドサーキットにフィズにヨーロッパサーキット、イギリスのグラウンドコントロールにブラジルのオーバーグラウンド、アメリカのAFAそして日本のKOGにフランスのフレンチフラットランドサーキットがある。それはともかくとして今回は普段会う事の無いロシア、東欧のライダーや日本からも気心の知れたライダー達、そして仲良しのカナダのダブやチリからベンジャミンそれ以外にも沢山仲の良いライダーが来ていて良い時間を過ごす事が出来た。バイクデイズは今年で10回目?の開催でフラットランドのコンテストだけではなくソロトゥルンの街を上げた自転車のお祭りと言った感じのイベントだった。

 

コンテストはプロクラスのみで約40人近いライダーの参加がありレベルも相当高かった。自分はと言うと練習中は比較的調子良く、これなら決めれるな的な感覚はあったが実際自分のランが始まると全然決まらなくドつぼにはまったと言う感じだった。しかしこれは自分だけではなくほとんどのライダーがボロボロのランになってしまっていた。理由は分からない。しかしみんな練習中は乗れていたそれだけに絶対何か理由が有るはずだ。考えても理由は浮かんで来ない。やっぱり大会は難しいと実感。まぁ沢山のライダーと出会えたから良しとしましょう。とにかく物価の高いスイス僕は大会終了と同時に速攻でスイスを離れた。
 

   

 

 

ヨーロッパコンテスト戦記パート2

アムステルダムからFiseの開催されるモンペリエまでは長距離バスで行くことにした。お世話になったデズマーセンに駅まで見送りをしてもらいここからロッテルダムを経由しパリまで約10時間そこからバスを乗り継ぎモンペリエまでまた10時間近くの長旅だ。
パリに到着したのは夜の9時 、乗り継ぎのバスは10:30しかし時間になってもバスは来ない。係員に聞くと多分遅延だろうと。気が付けば既に夜中の1時。周囲には誰も居なくなり係員も帰宅準備を始め出す。そして係員はもうバスは来ないから宿を探した方が良いと。40キロ近くのバッグ達を引きずり回し無料の wifiスポットを見つけ安宿にたどり着いた頃には既に朝の5時だった。そんな感じで僕のフランスのスタートは最悪な物だった。
そんなこんなでFiseの開催されるモンペリエに到着。そしてモンペリエ到着し重たい荷物を小一時間引きずりやっと宿泊先へ。


まずはFise の規模の大きさに驚いた。会場に到着し練習中に取材を受けたそのお陰で街中で激励の声を沢山かけてもらえたりサインや写真をお願いされたりとロックスター気分。初めて会うヨーロッパのライダー達とのセッションを楽しみ予選に備えた。今回前日はパーティーせずにゆっくり休み押さえに押さえた技で予選に望む事にした。しかし自分のランが始まり技が決まっていくにつれ会場の熱気とテンションが上がってしまって、メイク率の低い技を出してしまい後半はミスを連発。自分の採点では予選通過の等落選上だった。全てのライダーの演技が終わり予選通過者が発表された。ギリギリ12位で予選通過。ホッとした。決勝は2日後の日曜日相手は予選一位通過のマティアスダンドワだ。一撃かましてやりたい! そんな気分で決勝を心待ちにした。宿へ帰りインターネットに接続すると本当に沢山の激励やおめでとうのメッセージ。特に南米各国のアミーゴ、アミーガ達からのメッセージが多く熱いものを感じた。彼らも注目していてくれるカマしてやろうじゃないか! 


土曜日はアマの予選。この日は空き時間に会場で乗りまくった。はじめて会うライダーや久々に会うライダー達とのセッションを本当に楽しんだ。
決勝当日の朝起きて外を見ると天気が思わしく無い。
小雨が降る中会場へ。雨にも関わらずプロの決勝の時間になるとフラットランドエリアは見事に人で埋め尽くされて居た。
調子は良かった対マティアスの作戦も練った準備万端だったが結局は雨で決勝は中止となった。集まってくれたお客さんの為に雨の降る中決勝に残った12人のライダーでショーを行いこうして僕のFiseは不完全燃焼のまま終わった。アクションスポーツに興味のある人は是非このイベントに参加して頂きたい。そして僕が感じた文字には起こせない感動、感情を是非感じてもらいたい。本当に素晴らしいイベントでした。
まだ一ヶ月にも満たないヨーロッパの滞在しかし僕はヨーロッパのフラットシーンにすっかり魅了されてしまっている。彼らが作り上げたこの地でのフラットランドシーンそしてイケてるライダー達。それは僕が持っているフラットランドはこうあってほしいと言う願望と近いものが有る。僕はFiseを通してもっともっとフランスのシーンが知りたくなった。そしてこのシーンともっと繋がりたいと心から思った。
Fiseを終え、以前から注目していたフランスのハードコアフラットランドの聖地リヨンへと向かう事にした。

ヨーロッパコンテスト戦記パート1 

長い事旅をした南米その旅の中で僕は練習環境の良い街を探していた。結局僕にとって一番の街は初めて南米を訪れたチリのサンティアゴだった。そして僕は旅を小休止し暫くの間サンティアゴに腰を落ち着けライディングメインの生活をすることにした。
サンティアゴを離れる前日僕のチリのホームとなったライディングスポット,パルケサンボルハにてサンボルハのボスレオが中心となって送別会の様なジャムを開いてくれた。沢山のライダーが参加してくれ盛大に僕を送り出してくれた。



そして僕はスペインにバルセロナへと向かった。この街にはコスタリカ出身の映画俳優でありフラットライダーでもある友人ピノスキーが彼女と共に移住している。バルセロナ滞在期間はピノスキーの家にお世話になった。街にはゴミが落ちてなかったり、小便臭く無かったり、ヨーロッパに来て自分が感じること全てが南米基準になっている事に気が付いた。 長い南米での生活で僕の感覚はすっかり南米人となっていた。

そして遂にヨーロッパでの初戦ソウルサイクルチャンピオンシップの為オランダアムステルダムへ。
この大会は今年が初めての開催。BMXストリートやスケート等その他アーバンスポーツのフェスティバルで毎年の恒例イベントとして行われていく予定だとか。
初戦という事で気合いは入っていたもの前日バックパッカーで出会った人達と遊び過ぎたのと、寒さと湿度に対応出来ず練習から全く技が決まらない。早めの出走順ウォームアップがすむ前に出番が来てしまった。初めの掴みの技は決めたもののその後はことごとくミス、ミスを取り返す為にハイリスクの技に挑戦してまたミスという負のサイクルに囚われてしまい撃沈。結果は9位で予選すら通過することが出来なかった。南米で積み上げられた自信は簡単に崩れた。なんとも言えない気分のまま大会終了まで見届けた。

 


優勝はチェコのドミニク、2位は地元オランダのデズ、そして3位はドイツのデービッドホフマン,4位はオランダのシーツェ。特に僕の目を引いたのはドイツのデービッド、確かなスキルに攻めの姿勢そしてハードなパーティー、不思議な雰囲気を持った男で一緒に遊んでも乗っても楽しい男だった。ライディングスタイルに普段の振る舞いはどことなくカナダのコリーストラティチャクの若かりし頃とダブる物が有った。
そして大会翌々日には地元のライダー達とデービッドでアムステルダムの中心街のリドスポットでフォトセッション。みんなでお喋りしたり楽しい一日を終えた。その後数日デズの家にお世話になり次なる大会アクションスポーツ世界最大級のイベント、FISEの為フランスのモンペリエと向かう事にした。

とあるライダーの話

世界でも有数の治安が悪い街としても有名なコロンビアのカリ。この街にはヘロニモと言う数年前までコロンビアでトップクラスのスキルを持っていたライダーが住んでいる。数年前まではコンスタントにインターネット上にライディング動画を上げていて、バリアルを駆使した高難度のリアトリックで成長速度も早く僕が注目していたライダーの一人だった。しかしここ数年彼の動画がアップされる事も無く、インターネット上のフラットランドシーンから完全に消え去っていた。

 

去年僕らはカリの街を訪れた。その噂を聞きつけたヘロニモが僕らに連絡をくれ僕らは彼の家に立ち寄る事にした。ヘロニモはとても明るくポジティブなエネルギーに満ちあふれた男だった。彼のポジティブな振る舞いはハードな旅に疲れた僕らに笑顔と活力を与えてくれた。ライダーとしての彼は5年前腰にヘルニアを患いライディングが出来ない状態にあった。医者には彼にBMXを諦めるようにと言った。フラットランドを愛する彼は目の前にBMXが有っては乗ってしまう可能性が有ると言う事で5年前に愛車を手放した。これが彼の動画がアップされなくなった理由だった。それでもこの5年間彼はフラットランドを愛し続け、常に世界のフラットランド情報を集めシーンの動向を追い続けていた。2000年代以降のフラットランドの知識、技の知識の豊富さには驚かされた。もしも自分がBMXに乗れない状態になったら僕も彼のようにポジティブに振る舞いフラットランドの情報を追い続ける事が出来るだろうか?

僕らに見せたい物が有ると言って彼の部屋から彼の宝物だと言う2つの物を持って来てくれた。1つは2008年にコロンビアで行われたマジックフラットと言う大会に来ていたマティアスダンドワから直接もらったと言うステレオパンダのバンダナそしてもう一つはKHEのゲイシャハブが装着された後輪だった。この5年間様々な医療機関を訪れ再びBMXに乗る事を諦めていなかった。自転車は手放したが復活を信じて後輪だけは手元に残していたのだ。フラットランドはのめり込めばのめり込むほど身体や精神を酷使する場合が多いに有る。色々な理由でBMXから離れる人が居るがモチベーションが有るのに怪我が理由でBMXを離れるライダーを見ると切なくなる。

 

しかし昨日1つの映像がヘロニモから送られて来た。なんと彼のライディング映像だった。5年以上振りに乗ったと言って高難度のバリアル技を決めていた。こんなにも長い間乗っていなかったのに。お前は天才か?そして再びBMXに乗っている彼の姿は本当に嬉しそうだった。まだまだ復活への第一歩。5年間BMXには乗って居なかったが心は常に離れていなかった。だからこの期間は彼にとってブランクではない。

成長した精神で身体を気遣いながらコンスタントに乗り続けて欲しいそしてこの期間に貯めたアイディアを具現化して僕らをビックリさせる様なオリジナルなトリックを見せて欲しい。

僕らがカリを離れる前に彼は僕に言った。僕らが次に再会を果たす時その時はお互いBMXと共にそして一緒にセッションをしよう!と。

南米コンテスト戦記2

南米第三戦目はチリのクリコ。オバロフラットコンテストパート3。このコンテストはクリコ出身のライダー、チェロ主催の大会。チェロはクリコと言う小さな街でただ一人のフラットライダーそして22歳と言う若さで今回で3回目の大会主催。チェロはほぼ一人で運営をこなしテレビ、ラジオ等のメディアをも絡めそしてクリコを代表しライダーとしてプロクラスに参加。そして遠方から来たライダー達のケアから夜のパーティーまで全てを仕切っていた。今回はそんな頑張り屋さんのチェロの為に良いライディングをクリコの街の人に見せたいそんな思いで望んだ大会だった。
大会前はペルー、パラグアイ、ブラジルからもライダーが参加すると噂が有った、チケット等の問題で彼等は来られなかったが、アルゼンチンのメンドーサからオーウェン、ケビン、キティー、リティーやサンティアゴ、パイネ、チリ南部からのライダー達。そして現在アメリカ、フロリダのシルクドソレイユの舞台でも活躍するショーマン池田貴広がサプライズ参加。これにはチリのライダー達が大喜びだった。もちろん僕自身も彼の参加には大喜び。今回は予選8人通過。しかし予選の順位関係無く、くじ引きで対戦相手が決まる方式。イケは予選も決勝バトルも素晴らしいライディング。しかし一回戦で今ノリノリのベンジャミンハドソンに惜敗。イベント的には一回戦でイケ対ベンはもったいなかったなぁと。個人的にはイケ対チリが誇るショーマン、カルロスエスピノーサとのバトルが見たかった。彼等2人なら客に魅せる面白いバトルが出来たと思う。自分は予選で大会で決めた事無い技が決まりご機嫌で決勝進出。相変わらずミスが多かったけど、チリのリア技マスター、セペケーニョ、そして去年のパイネのキングオブM2の準決勝で敗れたコイポにレベンジを果たし、念願のベンジャミンとの決勝バトルまでこぎつけた。しかしベンジャミンに高難度のコンボを次々決められ完敗。負けるにしてももっと良いバトルを演出したかったと言うのが本音。そんなこんなで大会は終わり今回はベンジャミンの車で来ていたため彼の都合で当日中に帰らないと行けなかった為打ち上げパーティーには参加せずに終了。今回も優勝は出来なかったもの今までの大会とは違いスッキリと終える事が出来た。

 

 

そしてクリコの大会から一週間後、南米第4戦目はアルゼンチンのメンドーサ。その名もずばり”メンドーサフラットランドコンテスト”この大会は南米で今まで参加した大会に比べると会場もオーガナイズも一番しっかりしていた。大会期間中はライダー用に無料で宿泊施設も用意されていた。スポーツ総合施設にある一部屋にベットが30台位あってそこががアスリート用宿泊施設になっていた。メンドーサは面白い街だ。イタリア系移民が多いこの街ではイタリアの風習でもあるシエスタ(昼寝)があり、このシエスタの時間になると昼だと言うのにほとんどのお店も閉まり、街中の人もぐっと減る。そのお昼寝のせいなのか老若男女問わず平気で朝まで遊んでいる人が多い。今回の滞在期間ももちろん毎日朝まで遊ぶコースが当たり前になっていた。以前にも約一月程滞在してた事が有るこの街、しかし今回の滞在期間は大会期間中で多数のゲストが各地から来ていると言う事も有って前回の滞在していた時にも増してみんな気合いを入れて遊んでいた。本当に毎日朝までコース。

今回の参加者はチリからクリコの大会の主催者でもあるチェロ、そしてその連れ。そしてパラグアイから自分の教え子であるアルトゥーロガライ、そして大ベテラン、エルウィンペレス。そしてコルドバライダー達+メンドーサ軍団に自分と言う感じ。大会前日にはプラザを貸し切り派手なジャム。ここにはテレビ等のメディアも来ていて、恒例となったテレビのニュースで流すプロモーション用のインタビュー撮影。南米に来てから何度もこう言う形で地元の情報番組に出演する機会が有ったのだが、毎回決まってインタビューの最後に番組の顔である司会者に向けて、〜さんは素敵な人です。とか〜さんはとてもセクシーですとかを日本語で言わされる。そんなこんなをこなしハードな大会前夜のパーティーをこなし大会当日を迎えた。

ショーアップされた素晴らしい会場だった。プロクラスのフォーマットはくじ引きで相手お決めていきなりバトル。一回戦はクリコのチェロ、そして2回戦はあのネイサンペノンゼックの親友で地元出身のアントニオパガニ。順調に勝ち上がり決勝は自分と最近フランスのセイントマートチンとプロ契約を結んだオーウェンボーン。やっぱり地元でのオーウェンは強い。自分は難しい路面で決めきれず。最後のターンは負けが確実な感じだったので、コンセプト流れを関係無くハードを繋げる所まで行こう作戦。ハードスイッチがの意外と繋がっていったがいかんせん決める気が無かったのですっ飛んで終了。しかしこの心意気が評価され決めて無いのにこのコンボがベストトリック賞受賞。今回も2位だった。そして打ち上げパーティーへ。ヘロヘロになりながらもアルゼンチンのダンスを教わったり喧嘩の仲裁した時に流れ唐辛子スプレー食らったり濃い夜だった。街の治安の悪さやライディングスポットの雰囲気から前回の滞在では好きになれなかったこの街だったがそれらの負の要素を押しのける位にこの街には親切で愉快な人達が沢山居る。チリのサンティアゴへ帰る日皆がバス停まで送ってくれた。ライダーや前回の滞在で友達になった仲間達20人位で、僕のバスが見えなくなるまでトイレットペーパーを振って送り出してくれた。参加予定だったパラグアイやその他のコンテストが延期になったため僕の南米でのコンテストはこれで一応終了。

戦績は

チリ、パイネ、キングオブエム2、4位、ベストトリック賞

アルゼンチン、コルドバ、ゴヨコーコンテスト、3位 

チリ、クリコ、オバロフラットコンテスト3、2位 

アルゼンチン、メンドーサ、メンドーサフラットランドコンテスト、2位、ベストトリック賞 

ここからは暫く休憩してしっかり技を整えて新たな大陸へ

友と師匠

気が付けば自分自身BMX暦も長くなって今まで色んなライダーに会ってきました。世界の大会のシーンの最先端で活躍するライダーからオリジナルなこのカルチャーを作り上げたレジェンドや、めったに外には出ることは無いけれどスタイル、スキルをとんでもない所まで研ぎすますライダーまで。自分が若く無知でヘタクソだった頃は著名なライダー、上手いライダーに会うと緊張したものです。最近ではライダーや人と会って緊張するなんてことはほとんど無くなりました。今年の10月僕はカナダのサスカトゥーンに居ました。それを聞きつけた僕の師匠とも呼べるライダーがカルガリーから半日かけて車で遥々僕に会いに来てくれました。10年程前は毎日一緒に乗って、遊んで無茶して。彼に最後に会ったのは2009年のバンクーバーでした。


友人の家で彼を待つ間頭の中に色々な思いが駆け巡りました。そして後一時間くらいで到着すると言う彼からのメッセージを受け取った途端に心も身体もとてつもない緊張をしはじめそわそわビクビク。そして彼との再会の瞬間、喜びと共に何故だか涙がこぼれ落ちそうになり僕はそれを必死にこらえました。久しぶりに会った彼は40代になり、僕にとってあれほど大きな存在だった彼が筋肉が落ち昔よりも小さく見えました。度重なる事故、破天荒な生活、ハードなライディングによる度重なる怪我で彼はもうBMXに乗れない身体になっていました。僕が今まで出会って来たライダーの中でもフラットランドを本気で愛する彼は本物のライダーでした。破天荒な生活スタイルとは裏腹の美しいライディングスタイルとオリジナルな技を作りだす姿は世界中のライダーに影響を与え続けた特別なライダーでした。そんな再会から数日間、昔の様に共に時間を過ごしました。僕は嬉しかった。彼は変わっていませんでした。現在定職に付き生活も落ち着き経済的にも安定しているのですが相変わらず破天荒で格好良かった。

そしていつも僕の心を全て見透かしているかの様でした。とある夜、僕はサスカトゥーンに住む彼の彼女の叔母の家に招待されました。その叔母がテンションが高く良くしゃべる人でしかもその話が僕にとってはつまらなく、僕はただボーっとしていました。そんな時彼が僕に向かって一言”オイ、お前話聞かずに今技の事考えてたろ?”図星でした。

プロとして特別なライダーとして生きて来た彼はもう自転車に乗る事が出来ない、そして愛するBMXにも乗る事が出来ずに年老いて行く自分自身に絶望していました。

それでも彼は言いました。
”俺は特別な人間なんだ”
それを聞いた彼女が横で微笑みながら諭すように言いました。
”いいえ、あなたはもう特別な人間では無いの。目を覚ましなさい”

 


僕は未だにBMXに本気で乗っています。俗世間の事や金銭的な事全てをすっ飛ばして、本気でBMX、フラットランドと向き合っています。そんな僕に彼は師匠としてそして大事な友人として愛を込めてこんなアドバイスをしてくれました。
”今直ぐ日本へ帰れそしてフラットランドから手を引け。お前に俺の様な惨めな人生を歩んで欲しく無い”と
僕は彼のこの言葉が嬉しかった。でも僕は彼にこう言いました
”ありがとう。でも身も心カラカラになるまで進み続けるよ”と


 


貴方がBMXに乗れなくなったと僕に告げた数年前のあの日、貴方は僕に言いました。

”俺がBMXから離れたこの地点からお前が俺のビジョンの続きを描いてくれ”

だから僕は止まれません。僕ら2人のフラットランドはまだ完成していないのだから。誰になんと言われようと止まる事が出来ません。それが僕にとって永遠に特別な人コリーストラティチャックからの言葉だとしても。
師匠、そして大事な友である貴方へ
どうか健康で生き続けて下さい。そして僕が描くあの地点からのフラットランドを見届けてください。

南米コンテスト戦記1

初の南米での大会は11月のチリのパイネの大御所オサマが主催するコンテストだった。今年の初めに約2ヶ月間過ごしたチリ、大抵の上手いライダーは把握しているつもりだったが、初めて見るハイスキルのライダー達には驚かされた。ローカルコンテストって言ったって油断したらベンジャミンだって直に狩られてしまう。そんなレベルだった。今回はアルゼンチンのメンドーサのライダー達も参加しプチインターナショナルな大会となった。20数名の中で2分半の予選を行い予選通過12名の決勝は5分間のバトル方式。バトル一回戦はアルゼンチンの玄人ライダーアントニオパガニ相手に一つの足付きだけで決めたい技が全て決まり完勝した。決勝は3人のバトルになる為次勝てば実質3位以内決定。と言うよりも南米最強のオーウェン、ベンジャミンの2人とバトルが出来る。邪念が邪魔をし足付き連発はしたものの、相手もミスを連発したので勝った感触は有った。しかしジャッジは2対1で地元のパイネのライダーコイポに敗れてしまった。しかし地元のコイポに対する声援は凄かった。地元のお客さんからしたら日本人のライダー対地元の勇コイポとの対決は良い構図だったであろう。ジャッジもお客さんの声援に流されたのかなと自分に言い聞かせ悔しさを鎮めた。見事な噛ませ犬となり4位に終わる。バトル一回戦の中で繰り出した技が評価されベストトリック賞を頂き南米初大会を終えた。

そして今回はアルゼンチンのコルドバ。滞在中のメンドーサから夜行バスで揺られる事12時間。アルゼンチンのコルドバ到着。数日後の事、セッション後の帰路宿泊先の数ブロック手前の道が警察によって封鎖されていた、皆で近所のおじさんに何が起きたのか聞いた所、とある男が銃を持って強盗に入ろうとした所を家主によって銃殺されたのだとか。それを聞いた瞬間ライダー仲間達が僕に微笑みかけて言った。


” Bievenido Cordoba ”  ”ようこそコルドバへ”
 

この大会は前回の大会よりもスポンサーも多く、南米人が大好きなテレビで告知も何度かされていたらしい。会場はホールの中木の路面で少しボコボコしてて滑る。難しい路面だった。今回のフォーマットは予選通過は4人のライダーでそれから2人ずつバトルをして勝者が決勝バトルとなる。予選通過は自分とアルゼンチンのオーウェン、パラグアイのアルトゥーロ、そしてマウロ。1つ目のバトルはオーウェン対アルトゥーロ。オーウェンがバチ決めで誰が見てもオーウェンの勝利。しかしバトル終了後に勝者のアナウンスが無く、次の自分対マウロのバトルへ。バトル後またしてもアナウンス無し。数分後決勝進出ライダーのアナウンスされたライダーはオーウェンとアルトゥーロだった。その瞬間周りのライダー達がこれは間違いだと主催者に問いただす。通常ならば初めのバトルの勝者オーウェンと次のバトルの勝者である自分が決勝で戦うべきで有ると。そりゃ当たり前。お客やライダー皆が戸惑い一旦中断されがしかし主催者はジャッジが決めた事だからと良いそのまま続行。そして皆に謝られる。謝られてもなぁ〜っと言う心境だが、何故こうなったのか、こうしたかったのか想像する事は出来た。こうするにも、もう一歩手前のバトルの組み合わせを変えればで混乱を生まなかったのでは?こうして負ける事無く敗北の3位に終わる。しかしながら今回の大会で出会った人達やコルドバの皆の僕への歓迎っぷりには驚かされた。本当に皆親切で僕に興味を持ってくれて、大会の外では楽しい時間が過ごせた。彼等の歓迎っぷりに大会後のモヤモヤした気持ちが少し和らげられた。そして次の大会は1月にチリのクリコで。次回はベンジャミンもオーウェンも狩るつもりで新しいルーティーンが出せるように。

地球の話

南米の事を良く地球の裏側と言う表現を使う人が居ます。この表現を心良く思わない人も居ます。

裏と表、陰と陽

パラグアイに移住したてのとある若者が数十年パラグアイに住むの日系社会の先輩のお爺さんに尊敬の念を込めてこう言いました。”当時の時代背景から想像するにこの地球の裏側で大変ご苦労なされたでしょう。”お爺さんは若者に言いました。”丸い地球に表も裏も有るのかね?”
 

裏と表、陰と陽、裏と言う表現に無意識の中のネガティブが込められていたのです。
 

日本は表でここは裏?
丸い地球に表も裏も無いのです。

ヨークジャム感想文とアメリカンフラットシーンの現在

先日アメリカのペンシルベニア州のヨークと言う街に25周年を迎えたモダンフラットランドの基礎を作り上げたとも言われる伝説ケビンジョーンズを筆頭とする伝説のクルーPlywood hoodsの主催する伝説のヨークジャムへ行って来ました。ただでさえ、このようなジャムと呼ばれるイベントでは色々な伝説を聞く事が出来たりレジェンド(伝説)と呼ばれる人達に会う事が出来るので多少でもフラットランドの歴史に興味の有る人からすると、とても興味深いイベントなのです。普通に話しかけて来たおじさんがレジェンドと呼ばれる人だったなんて事も多々有ります。ジャム当日の僕はと言うとケビンジョーンズやアメリカの昔憧れてたライダー達と一緒に乗れると言う気持ちの高まりは有った物の数日前に負傷してしまった手が治りきっていなかったため、あまり乗らない様に心がけていました。そうすると一人のメガネのおじさんが話しかけて来ました。おいせっかく来たんだから乗れよ!的な感じでちょっと高圧的。まぁこの人もレジェンドなんだろうなと思いつつ、”手が痛いのであまり乗らない様にしているんだよ”と丁寧にお断り。そんな感じで観戦メインで楽しんで来ました。当日はあいにくの雨で臨時に秘密の地下駐車場での開催にも関わらず100人を超える大人数のライダーが参加、伝説のマークイートンがDJとして一日中音楽を流し続け、その中でとにかくハードコアに乗るって言う感じでした。



去年参加したフリースタイルの第一世代とも言われるカリフォルニアのマーティンアポリージョやエディフィオーラらが定期的に開催しているオールドスクールミーティングにも似た感じでしたが、それよりも参加年齢層が少し下がり30代後半から40代中盤のライダーがメインでそれから少しフレンドリーな雰囲気を引いてちょっとした緊張感を足してハードコアにした感じでした。

ここ数年新しい世代が出て来ないアメリカのシーンを悲観する声をよく聞きますが、自分が肌で感じている事は悲観的な事よりもポジティブな要素の方が多いと思います。確かに若い世代のライダーは少ないですがアクティブな中年ライダーが多いように見受けられます。若い頃から乗り続けて来たライダーも沢山居ますが、家庭を持ち子育て等の理由でBMXから遠ざかっていた多くのライダー達が家庭生活が落ち着きBMXに再び乗り始めシーンにカムバックしているライダーが沢山居ます。40歳を超えてから積極的にコンテストに参加し始めるライダーも少なく無く、そしてベテランクラス、アマチュアクラスを勝ち上がり40歳を超えた年齢でプロに上がるって言うライダーも居ます。そして多くのライダーが生活にも経済的にもゆとりを得て、そのゆとりの中でコンテストを主催したりブランドを立ち上げコンテストシーンでアクティブなベテランライダーをサポートしたり、シーンにアクションを起こし続けています。フリースタイルBMX発祥の地と言われるアメリカのシーンは常に各国から良き例とされ続けて来ました。そして現在のアメリカのシーンはある種の進化の形であり現在も新たな可能性、方向性を見せてくれていると思います。彼等のライディングそして現在のアメリカのシーンは加齢に対する畏怖を払拭させてくれ中年へと向かうライダー達を勇気づけてくれます。現在のアメリカのシーンを引っ張る彼等は年齢を重ね多くの人生経験を積み、色々な知識と知恵やコネクションをBMX外の世界から得ています。そしてフラットランドに対する情熱を持っています。そんな彼等が作る新しいアメリカのフラットランドシーンはとても興味深いです。

そして話はヨークジャムに戻り、僕は先ほど高圧的に出て来たメガネのおじさんに注意深く目を向けていました。彼はレジェンドのオーラと共にシンガードをまとい程よく使い込まれた味の出ているオールドBMXに跨がりライディングを始めました。しかし予想を裏切り繰り出すブーメランも不発でメガスピンのスカッフの切り返し一回でプルプルしていました。なんだただのヘタクソじゃないか。しかしこのパターンもまたアメリカではよく有る話なのです。

フリースタイル論

自分等の前の世代のBMXライダーはフラットもランプもレースもスケートパークも全てをこなしたなんて一昔前には良く聞く事でした。彼等は嘆いていました。”あの頃は良かった。最近のライダーはフリースタイルの心を忘れてしまった。” しかし時間は流れて最近の流行ではストリートやフラットランド両方やったりミックスしたりそんな型にはまらないライダーが増えて来ています。型にはめたがる人はストリートライダーがやるフラットランドはフラットランドでは無くフラットグラウンドだなんて言いますが、一時代前と比べるとストリート、フラットランドのボーダーラインが低くなって来ているのは最近の流れのように感じます。多くのライダーがフラットランドにストリートテイストの豪快な技を取り入れたりストリートライダーがテクニカルなライディングをするようになって来ています。僕ら世代のライダーは嘆いています。”ハードコアなフラットランドは何処へ行った?” 同世代のストリートライダーは嘆いています。”ぶっ飛んだ豪快なストリートライディングは何処へ行った?” 俗にフリースタイラーと呼ばれる人は色々な事をこなします。BMXだけに捕われずサーフィンやスケート等もハイレベルでこなす人なんかも居ます。僕の様なフラットランドオンリーで、しょぼいバニーホップしか出来ない様なライダーは馬鹿にされたりパークライディングをやる様に進めたりされる事もしばしば。フリースタイラー気取りの彼等は言ます。 ”フリースタイルなんだから何でもやった方が良いよ。BMXライダーなんだから飛べないと” 彼等にフリースタイラーBMXライダーとして失格の烙印を押された僕は心で思います。車で移動してスケートパークとフラットランドスポットでしか乗れない貴方は僕よりフリースタイラーでBMXライダーですか?ボリビアやパラグアイの過酷なストリートをノーブレーキの空気カンカンに入ったBMXで貴方は僕の様に華麗に走る事は出来ますか?僕にとってフリースタイルって言うのは全てを受け入れる大きな心だと思う。フラットしかやらない人、色々やる人、何もやらない人それらを受け入れ何事も否定しない人それが本当のフリースタイラーだと思う。そして僕の本心はフラットランドさえ出来ればフリースタイルなんてどうでも良いです。


The white man in the amazon

シャーマンのコミュニティーにステイする為にエクアドルのジャングルの奥地を訪れた時の話し。

コミュニティーでのステイは本当に不思議な経験だった。最寄りの街からタクシーで山の奥地へ3時間そこから先は車が入れないのでアマゾンの中を歩き続ける事6時間ようやくロッジに到着。電気はもちろん水道管もなにも無いので現代の文明世界とは人工物で繋がって居ないまさに本当の自然の中の小さなビッレジ。自分が泊まった部屋は高床式の部屋で部屋の中には竹で組まれたベットと蚊除けのネット屋根と風よけ程度の竹の壁部屋の扉はもちろん無い。自分が泊まっている間は他の客は居なかったがシャーマンのおじいちゃんおばあちゃんが高齢なので最寄り診察院から健康診断に来ていたお医者さんだけがこのコミュニティーに泊まっていた。

滞在の最終日世話になったシャーマンに挨拶をするため彼を待っていた。医者が僕に話しかけて来た。僕のつたないスペイン語で理解するにシャーマンは暫く帰って来ないとの事そこでこのアマゾンをよく知る彼が僕をアマゾン内を案内してくれるとの事だった。コミュニティーから30分歩いた辺りで彼が言うこの先は長靴が無いと入れないので俺のを貸してやるからここで待っていろと。その後彼が帰ってくるとことは無かった。医者が僕の金とiPhoneを盗んで逃げたのだ。シャーマン家族に盗まれた事を伝えると大騒ぎに。とりあえず何もしない訳にはいかないのでシャーマンと警察に行くことにしかし僕のつたないスペイン語では全然伝わらないし僕も彼ら言う事が理解が出来なかった。シャーマンの知り合いに英語が話せる人が居ると言う事で助けを求めてその男が居る所へ向かった。僕が予想していたのは褐色の肌のエクアドル人しかしシャーマンのコミュニティーに居たのは白人の男性だった。僕は少しビックリした何故こんなジャングルの奥地に白人が??彼はベルギー出身で20年以上このアマゾンのコミュニティーで暮らして居ると言った。久々に英語でコミュケーションが取れたのが嬉しかったのと彼に凄く興味が有ったので半分窃盗事件なんかどうでも良くなりジャングルからの移動の間も警察の書類作りの間も僕はベルギー人の彼アンドレと話続けた。警察の手続きが終わった頃にはもう辺りが暗くなり始めていた。アンドレは無一文になった僕を数日間世話してくれる言った。元々彼は大物アメリカのバンドのツアーステージマネージャーをやっていた過去が有りプライベートでも仕事でも色々な国を旅し色々な国に子供を作りそんな生活をしていたらしい。年齢的にも60歳位なので筋金入りのヒッピーだ。そして20数年前にエクアドルに辿り着きアマゾンを訪れアマゾンに住むアボリジナルの女性に出会いその女性との間に子供をもうけ、そのままアマゾンで生活するようになったそうだ。アンドレが来た当初アマゾンの人々達は国からの教育をうけていなかった為スペイン語は当然話せなく彼らとの生活の中で民族の言葉ケチュアを学んで行ったそうだ。しかし現在は国が彼らに教育を施すようになり、ここら付近のアマゾンの子供達も学校へ行っているそうだ。そうする事によって子供達がアマゾンの外の世界を知る、外の世界ではお金が必要なので僕がお世話になっていたコミュニティーなどは最低限必要な金を稼ぐ為に僕の様な物好きな旅行者に宿として提供して収入を得ているらしいのだ。

 

アンドレの家?小屋?にお世話になってる間彼はアマゾンの事や彼自身の事等そして自分の事色々な話をする時間が沢山有った。俗世間を捨てアマゾンの奥地に住み始めた理由。現代社会に生きた白人がアマゾンの奥地でネイティブのコミュニティーに溶け込みその中で暮らして行くなんて作り話にしても振り切り過ぎて行てリアリティーに欠ける話では無いだろうか。しかし彼は実際にそうやって生きて来たんだから面白い。2015年の現在でもエクアドルの都市部を離れたとこではアジア人白人は宇宙人同然の視線そして言葉を掛けられ事も当たり前だったと言うのに。それが20数年前。アマゾンには人間が生きる為に必要なもの全てが有るだからお金なんて無くても生きて行けるとアンドレは言った。彼らの文化では全てをシェアする事が当たり前なので盗むと言う事あり得ないし起こりえない事なのだとか。もっとも僕の金を盗んだのは外部の人間だったが。思い出深いのがタバコの木を見せてくれた時。アンドレが落ち葉数枚をささっと拾い上げて細かく刻んでその場で吸わせてくれた。元々タバコ好きな事も有ってこれにはえらく感動した。そして僕はお返しにアンドレに街で買って来たパック入りのタバコを渡した。彼はもの凄く感動して一服一服を味わいながら楽しんでいた。現代社会ではすっかり悪者のタバコも所変われば清心な物であり悪魔除けや聖なる儀式等に用いられる有用な物なのだ。アンドレとの時間は盗まれた現金やiPhoneなんかじゃ比べられない程の価値の有る時間だった。自分たちが信じているお金に価値の無い世界。アマゾンから街へ戻って来た僕は不思議とお金を盗まれた怒りは無く、アンドレと引き合わせてくれたと盗人に感謝すら感じた。アンドレとの出会いと彼の生活の中に美しい旅人の行く末、終着点を見た気がした。